




プロ・ロングボーダーでありながら、『SuperX』誌発行人として、またタイフーン・サーフボードやビデオ『レット・イット・フロウ』のプロデューサーとしても、ジャンルを越えて幅広く活躍する枡田琢治。そんな彼は、パイプラインに固執する日本人サーファーの一人でもある。
枡田が手掛ける雑誌やビデオがそうであるように、彼のパイプラインへのアプローチは、他人とは全く違う個性的なものだ。
「このボードはサンセット・ビーチで友達が経営しているリペア・ショップで見つけたんだ。店の軒下にあるのを見た瞬間、どうしてもほしくなってしまった。何か出会いのようなものを感じたんだね。それで修理に出した8本のボードに新品のボードを1本追加して、何とか頼んで交換してもらったんだ」昔ながらの太い3本のストリンガーに大きなパイン・ウッドのリバース・フィン、そして、厚いクロスで巻かれたボードは、1人で持ち運ぶのも大変なほど重い。当初はさすがの彼も、このボードでパイプラインに乗ろうとは思わなかった。
しかし、‘96年にマウイ島ホオピカ・ビーチ・パークで大きな波に乗って自信をつけた彼は、そのボードで初めてパイプラインに挑戦した。「もちろん、トライ・フィンの方が大きな波では乗りやすいかもしれない。でも、それで簡単に満足感が得られるかといったら、そうじゃないんだ。ぼくは別
にこのボードでワイプ・アウトしてもいいと思った。例え99回失敗しても1本成功すれば、それは、自分にとってかけがえのないライディングになるはずだから」
枡田がビィンテージ・ボードでパイプラインに乗ろうとした理由は、何もプロ・ロングボーダーとして目立ちたかったのではない。むしろ、そういったビジネスの世界とは相反した理由からだった。「一人のサーファーとして、他人のマネではない、自分独自のラインを描きたかった。それも一番好きなパイプラインの波でね。ぼくの理想のサーフィンは、テイク・オフからプル・アウトまで、全くブレのないラインを描くことなんだ。それには重いボードが必要だった。なぜなら、重いボードはごまかしが利かない。そしてそんなボードでパイプラインの波をメイクするには、テイク・オフした時、すでにラインが決まってなければダメ。そんなオリジナルで、ちょっとひねくれたサーフィンが好きなんだ」
彼がそれほどまでに自分独自の乗り方にこだわり始めたのは、世界を回って感じた“小さな挫折感”のせいだという。「ナット・ヤングやジョエル・チューダーたちと世界を回って、彼らのような超一流の連中と、僕のようなただ波乗りのうまいサーファーには大きな違いがあることに気付かされた。彼らは波乗りをするために生まれてきたような人間だから、僕との間には越えられない高い壁があったんだ」 だからこそ、彼は自分独自のスタイルを確立しようと考えた。その結果
が、フィル・エドワーズのシグネチャー・モデルでパイプラインを滑ることだったのだ。
彼は冬になるとパイプラインの前に家を借り、理想の波が訪れるのを待っている。そしていつの日か、自分のライディングを映像にして、フィル・エドワーズに見せたいと思っている。 そのタイトルは、すでに『リサイクラー』に決まっているという。
日本のレジェンド、川井幹雄氏も彼の奇抜なアイディアに驚く
理想のラインを実現するために手に入れた、’64年のフィル・エドワーズのシグネチャー・モデル
NALU
/2000 No.2