プロが教えてくれる最強のサーフ講座 

 なぜスタンフォードの医学部を卒業した若いドリアン・パスコイッツ歯医者の夢を捨てたのか?
  毎夏、CAにあるサンノフレ州立公園で開催される、パスコイッツ・サーフキャンプ。僕が初めてそのキャンプに向かう直前に抱いた疑問であった。
  主催者側から送られてきたキャンプに関しての説明書には、家族メンバーのプロファイルが書かれていた。当時はロングボードなど死んだ美学であった80年代後半。ドリアンの息子達である世界サーキットを荒らしていたイズラエルとジョナサン・パスコイッツ兄弟の姿は、ハービー・フレッチャーの名作ビデオシリーズ『ウエイブ・ウォリアーズ』を友達の脇田プロと観たので知っていた。
  「スタンフォードの学生はたちは平均的にアメリカの上級社会からきた学生が多かった。私は豊かな家族で育たなかったが、最高な医学を勉強したかった。無理を承知でスタンフォードに入学したんだ。」とにかく学内で生活能力の低いドリアンは、お金がなかったのでがむしゃらに働いたらしい。
  授業、宿題とガールフレンズとの時間以外は全てバイトをしたという。色んな友達や女性たちに生活を援助されながらも過ごしたと言っていた。だが、夢でもあった医者になることを、卒業後ドリアンはあっさり捨てたのだ。「ストレスが増すアメリカ社会で、人々を救うことは無理だと分かったんだよ。西洋医療学は不健康になり続けるアメリカ人たちに薬と手術を行うだけであった。悩んでいた私には患者になる前に一人でも多くの人々の生活(ライフスタイル)から変えていかなければいけないことが分かったんだ。」
  89年のキャンプで一番サーフィンに熱心ではなかった16歳の僕にそんな話しを毎日ビーチ日陰小屋の下で語ってくれたのを思い出す。もちろん同期の医大生たちが皆とっくに金銭的に大成功し、外車に乗り、大きい家を持っていることを考えれば自分の貧しいキャンパー生活は本当の理想の姿ではないと言っていた。特に愛する奥さんジュリエットのために自分がプレゼントもろくにできない事を彼は本当に後悔していた。
  だが、ドリアンは彼のロジックス(理屈)で最も正しい生き方はサーフキャンプをファミリーで運営し、世界中の人々にサーフィンを通 じて健康な体と頭造りを教えることであった。故に、彼は最も幸せで素敵な9人の子供たちとジュリエットと共に毎年サンノフレ・ビーチパークで数百人の生徒たちと毎夏を過ごしている。秋がやってくると彼はボロボロのキャンピングカーに乗り、バハ半島の先端にあるロス・カボスまで冬を過ごしに行く。道中、貧困な町が点々と半島に存在する。ドリアンはそれぞれの町で、必要とする少量 の食料やクルマのパーツと交換で治療を提供していると気さくに言っていた。半島の住民たちは年に2回、彼が町を通 る事を願いながら住んで居ることであろう。キャンプ中に、硬派なユダヤ教の考え方で特別 な技術を持つ者はお金を取るべきではない、と彼から聞いたことがある。「もうあなたもサーファーになったのだから、他の人にもよりよい生活を分けることをしなさい。」彼は2週間のキャンプ後に僕に言った。ドリアンはカリフォルニアで最もロングボードに最高なビーチに毎年夏になると現れる。僕は今でも人生の方針を指導してもらっている。是非、読者の皆様にもお会いしていただきたい人物である。

 Free&Easy  JUNE 1999,Vol.2 No.8
 カリフォルニア発サーフキャンプ

 

●キャンプについて
  毎朝、日の出と共に起き最良のスポットを確保してデイキャンプを陣取りし、朝食までサーフィンをグループごとに別 れて行うサーフキャンプ。正面ではオールドマンズと呼ばれるワイキキのようなロングやファンボードには最高な波がブレイク。初心者は板を持参しなくても数々のロングからショートまでの名シェーパーボードが無量 で大量用意してくれたりと、完璧。タコスやサンドイッチとフルーツがメインなランチをすませ、昼寝をする者もいれば一日中サーフする者もいる。常に家族のメンバーとスタッフ(かなり有名なプロたちが普通 にバイトでしている週も多い)がラインアップとビーチにいるから安心。ケリー・スレーターやジョエル・チューダーのようなスペシャルなゲストも必ず現れる。サーフレッスンもレベルに合わせて毎日行われる。その後はサンセットを背にして夕方にはフリーウェーの反対側にあるサン・マテオパークのキャンプサイトに戻りディナーを食べ、毎晩のようにビデオや隠し芸大会で楽しく過ごせる。ロスやサンディエゴの空港まで毎週キャンプから迎えと送りをフライトに合わせてくれるのでお金を一切持たずに子供達だけで飛行機に乗り送り込む親達もいる。波がない日は近所にあるサーファーマガジン社や数々のメーカーへの見学ツアーや買い物。有意義な一週間を900ドルで過ごせるぞ。