最近、僕はドン・ジェイムスがが撮影した『1936年から1942年サン・ノフレからポイントデュームまで』という本を気に入って、よく寝る前に読んでいる。ウエストコーストに住んでいた若者たちがハワイの文化に憧れ、南カリフォルニアのサーフポイントをフォード・モデルTなどに乗り、開拓していった頃のロマンチックな写
真集である。実際この様な人々のことは伝説ですか知らなかった。一昨年ラグーナ・ビーチ美術館で行われたこの写
真集の個展に行ったときにはその当時の人々のクールネスにかなり感動した。伝説が存在できる世の中に遭遇したときの快感は言葉に現せない。
ヘミングウェイのようにかっこよく生きたいと思いノスタルジアに触れているとサーフィン界の中にも結構、粋な生き方をしてきた人達がいるのに気付く。上記の写
真はスティーブ・ウイルキンス氏が撮ったエディー・アイカウとファミリーの写真である。エディーはサーフィン界で最も有名なレジェンド(伝説)を持つ男であろう。彼が遭遇したホクレア号から助けを探しにボードに乗って消えていった人である。その彼の勇気とワイメアやサンセットでのガッツのあるサーフィンは歴史に残り、現在では彼の名前でワイメア・ベイで大会が行われているぐらいである。全世界的にレジェンドを称える集まりが頻繁に増えている。残念なことに、死んだときに評価はされているようだ。
生きていながら自分の伝説をグレック・ノール波に語れることができる人は少ないであろう。ジョック・サザーランドはワイメアのクローズアウトをアシットでビンビンに飛びながら満月の真夜中に一人で乗っていたと言われてる。自分からは言わないジョッコを見かけた
レート・サーファーズのリストに近い。シェイパーでも植田シェイプの板は海外で評価が高い。が、海外から見られている人物は非常に少ないのが現実である。個人的に思えるのは日本にはゴシップに近い噂はよくするが伝説的に語られる場合が少ない。それは実際行動に出ていないからなのではないのか?「エディー・ウッド・ゴー」とサーファーの間では度胸を試し合うような表現になってしまう様な行動はとれるか?
男は生命を女性のように残せない。だが生き様という形で我々男性軍は自分の一生を残すことができる。『細く生きるな、太くインパクトのある人生を生きてみよう』人生に限られたペンキで小さな絵を描く人もいれば与えられた器ごと使い大きな絵を描く人もいる。ワイプ・アウトを恐れるな。転げたら笑ってスタート時点にに戻り再度チャレンジし始めよう。
最近はメディアの発達が著しい。戦争は生放送で戦場の戦士よりお茶の間の視聴者の方が終戦を先に知っている位
である。全てがライブ・ドキュメンタリーになると事実だけが映され、豊かな表現と共にその状況を語られなくなる。噂が伝説になる前にメディアが正当かしてしまうように思える。現実に現代では昔と比べ伝説は残りにくい。
伝説的な人のようにダイナミックに生きてみたくはないだろうか?無欲で活動した結果
が伝説になるように、レジェンドへの意識を持って人生に取り組もうではないか!
Free&Easy JUNE 1999,Vol.2 No.8
『エディ・ウッド・ゴー』
人が始めた伝説であるが、サザーランド自身が語る昔話はそんなもんでは終わらないのにこの数年の付き合いで分かってきた。レジェンドをアンプリアファイして自己ピーアール的なレジェンドとそんなのがどうでもよいと生き続けている人がいる。 最近ちまたでレジェンドと言う言葉がはやって使われている。だがそのような伝説的な男達は実際このサーフィンワールドに何人いるのであろうか?特に国内では実際その名が相応しい人は来日されているタイガー・エスペラ以外にいるのであろうか?
呼び方の基準を作るのであるのならば、昔からいる人達はオールドタイマー、波乗りをその地域に導入した人達やデザインを極めた人ならばパイオニア、で本当に伝説的なストーリーを持つ男はレジェンドと呼ばれるべきであるのだ。
アメリカで日本人のレジェンドの話しになると決まって出てくるのが井坂氏である。彼は何で有名になったかというと南米ペルーで行われるはずの68年の試合がなくなったを知らずに現地に行ってしまったらしい。その当時、彼は自分のような間違えをした奴は「ドジ」と呼ぶと説明し、その彼の失敗話と彼の名前「ドジ井坂」はサーフィン史に書き込まれていった。名門のサーフボードを売ったところで伝説にはならないと同様、日本国内で自ら伝説的な男と呼ぶことが多くはないかが疑問に思える。
佐藤傳次郎はジェリー・ロペスの伝説的な写真を残した男としてグローバルなレベルで評価されるレジェンダリーなフォトグラファーである。他にもグレートで世界的に活躍をしているサーファーたちは山ほどいる。糟谷、久我、脇田などのサーファーたちは日本で最もグ